行者ニンニク入りソーセージは美味しいですね。 |

晩成園園長・茂古沼悦郎さん |
「ピルカソーセージ」のことですが、健康によいと喜ばれています。使用している行者ニンニクは施設で自家栽培しています。「ピルカ」はアイヌ語で"美しい"とか"良い"という意味です。「可愛い娘」を「ピリカ・メノコ」といいます。他にも「粗挽きソーセージ」「辛口ソーセージ」「チーズソーセージ」「フランクフルト」とソーセージ、ハム、ウインナーなど、肉処理から出荷まですべて行っています。

施設内に併設された加工工場 学園職員・五十川泰弘さん撮影 |
|
ポークソーセージを作るようになった経緯からお聞かせください。 |
当初は兄(故・茂古沼勲氏)が寄付した畑や、近所から借り受けた25ヘクタールの畑の農作業が中心でした。動物は障害者にとって馴染みやすい作業ですから、搾乳牛、七面鳥、養豚、養兎などを手がけました。純粋な感情が動物には伝わるんでしょうね。生き物という朝晩手を抜けない仕事の厳しさを通して自信と誇りを持ち、障害者の社会復帰にも役立っていました。豚も多いときは200頭いました。
学園の設立当初の理想は、共同生活しながら、ゆくゆくは親とも住むというのが夢でしたから、飼育から食品加工まで、一貫作業をすることで完成と思われていた。ところが経済性がなければやっていけないし、利用者だけで囲って生活していたら、収容生活になってしまいますから、社会に出て行かなければならない。そこへ、社会の変化で専門性と高度な飼育技術が求められるようになり、副業的規模では成り立たなくなってきました。企業と違って収益を求められているわけではないですが、赤字では処理する財源がないですから。それで飼育はやめて、専門家の良質な肉を仕入れることにして、平成4年に加工へと変えたわけです。私が本格的に学園の仕事をやるようになったのはその頃からです。 |
作業を教える難しさとか。 |
中学校の校長をしていたんだけど、年齢のことも考えて早めに退職してこの仕事に就きました。学校教育も福祉も、どっちも人間をいかに人間として伸ばしていくかだから、なにも変わりません。対象の雰囲気が違うだけ。ただ、いろいろ理解してどこまでも伸びていくわけではない。普通とおりやることをどう身につけさせるかが中心で、テストのように100点取らせることが目的ではない。障害者の行動がちょっと違うから全体では違って見えるけど、人間だもの同じ。
以前は精神薄弱者と呼ばれていたんだけど、彼らは表現が普通と違うだけで、精神がおかしいわけではない。重度とか、中度とか、軽度とか分けるけど、重度の方がしっかり作業をやれる場合もある。軽度の方がかえって手がかかる場合とか。障害者という違いを理解していれば、仕事はきちんとできますから、問題ありません。3回洗うと教えれば3回洗います。ただ、余り複雑な要求はできない。
かつて援農作業というのがあって、農家の単純作業にはとても重宝されたこともありました。農家としては有難いからどんどん作業の要求が増える。でもどんどん伸びるわけではないんですね。つまり、お茶が出されているとすると飲んではいけないというと飲まない。しかし飲んでいいよというと、お客さんのお茶の区別もなく他人のも飲んじゃうというわけです。適当にとか、よく考えてとか、臨機応変に、というのは苦手なんです。 |